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◆なぜ挨拶は必要か(第32話) 自己肯定感⑲ 意識の焦点=真の目的 [人材育成]




前回は、

★ 人は
  同時に二つのことを
  意識することは出来ない。

★ 意識するのは“ひとつ”だけ。

という“仮説”をご紹介し、
例を挙げて
解説してまいりました。



人は共同生活する動物です。


お互いそれぞれ、
自分や他者のどこに
意識の焦点を合わせて
活動しているかが、
その共同体の方向性や
質に大きく影響します。


お客様満足よりも自分の
好き嫌いを優先する社員。


好きな人を振り向かせたり、
親に誉められたいがために
勉強するこども。


無論、
これらの“事実”が
良いか悪いかの判断は、
共同体にいる人が行います。


そういう社員や子どもが、
自分自身を含めた共同体に
“悪い”影響を及ぼさなければ、
そのまま見過ごしておくのも
選択肢の一つでしょう。


つまり、
その社員の上司、
その子どもの親が、
彼らの“行動”の
真の目的を把握する能力も
考えなくてはなりません。


ただ、現実として、
意識の焦点を
何処に合わせるかは
人によって違います。


私は写真が趣味です。


同じ風景でも
ピントを合わせる場所は
人によって違います。


一枚たりとも、
ぴったり同じ構図、
同じ露出の写真は
無いでしょう。


しかし、
誤差の範囲を
少し広げれば、
“傾向”という枠で
いくつかの分類が
可能です。


それが以前ご紹介した
“気質”です。


それは
身近で些細な場面
でもわかります。


例えば、あなたが
ある企画書を上司に
提出したとします。


その反応は
どんなものでしょうか?


おおまかに
全体をざっと読んで、
企画の意図や
目的について質問する・・・

はたまた、
文字の誤字脱字や
レイアウトの不都合ばかりを
指摘する・・・

はたまた、
企画は肯定しているが、
細い点ばかりを
突いてくる・・・

と、まぁ、
いろいろな反応が
あるかと思います。


質問や指摘の仕方にも
その人の気質が
表れています。


ここで大切なことがあります。


企画書作成という仕事は
業績上、重要という意識が、
作成した部下と上司との間に
共有化されている、

つまり
焦点が同じであれば、
建設的に
企画書はより良い方向へ
発展していくはずです。


しかし・・・


現実は
そうでない場合が
多いです。


部下は上司から、
とりあえず企画書を出せと
言われたから出した・・・とか。


上司も部下にあまり期待せず、
また、個人的には好きではないから、
出来れば目を合わせたくない・・・とか。



または、
上司にとっては、
仕事の成果よりも
自分の出世が大事だから、
その企画に部下が没頭するよりも、
上司である自分にもっと
気を使うことを考えてほしい・・・とか。


実際には
多いのでは
ないでしょうか。


目標や目的に向かって、
意識が一致する、
つまり
焦点が合うのは、
結構難しいと思います。


ですから、
前回(31話)の
最後に書きましたが、

企業の成績を上げたいなら
本人の資質だけを
評価するのではなく、

上司、部下、同僚といった
チームとしての組合せを
重視する必要があります。


アメリカの海兵隊は
それを基本としています。


海兵隊の任務は数ありますが、
命の危険を伴うものがあります。


敵地にて、
任務を無事に果たし、
チーム全員が無事に帰還する
というのがミッションです。


つまり、
兵士ひとりひとりの行動が、
チーム全員の命を奪いかねる
リスクを背負っているわけです。


前回(31話)では
こんな例を挙げました。


営業プログラムの修正作業に、
二人の先輩から助言を得ながら、
自分の好きな先輩の意見だけを採用し、
結局は不完全な仕事をした社員。


これが軍隊ならば、
そのプログラムで行動した兵士が
死亡することも考えられますね。


実際、
サラリーマンや公務員にとって
“仕事で命は取られることは無いから、好きにやれ!”
という文句は、
ヤル気にハッパをかけるには
良いと思います。


しかし、逆に考えれば、
“別に命を取られるわけではない。
 だから適当にやればいい”
と捉えることも可能です。


これは
「ここに立小便したらいけない
なんて書いていないだろ」と
逆切れする思考に通じます。


抜け道を探すことに、
その人の意識は
焦点が合っているのです。


ですので、
その人が
何に焦点を当てて
行動しているのか、

真の目的は何か、

それを見抜く、

それを聞き取る、

それを感じ取ることが、
コミュニケーションの
最大の要諦だと思います。


ほんの些細な一言。

ほんの些細な振る舞い。

ほんの些細なメール一本。

それを見抜けなければ、
「まぁ、上がってお茶漬けでも」
という京都の逸話のように
“野暮”となってしまうわけです。


野暮扱いなら、まだましです。


大切な人生を
狂わせることもあるでしょう。


続きます~



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