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◆なぜ挨拶は必要か(第27話) 自己肯定感⑭ 多面的観察法 [人材育成]




前回までは、

(要約)

良い人生を歩むためには、
脳に疑問を与えることが大切です。

脳をリラックスした状態に置けば、
自然と良い回答が導き出されます。

しかし、
それを意識すると、
意識は返って
それに集中しすぎる傾向があるので、
必要に応じて
柔軟な考え方を持つ必要があります。

それには、
Y先生の研修コンテンツが有効です。

それが“多面的”観察法です。

というところまで来ました。



さて、みなさん、
これはなんでしょう?

挨拶27見立て①アヒル.JPG


アヒルさん?


実は・・・


挨拶27見立て②ドア.JPG


ドアの金具なんです。


この金具を
デザインした人は
“遊び心”を
お持ちだと思います。


さて、
本記事をご覧のみなさんは、
通勤や通学、買い物と、
日々“道”を
歩かれていることと存じます。

そして、多くは
決まった道であることが
多いと思います。



このような経験はありませんか?

友人とその道を歩いている時、
自分が気づきもしなかった
看板や店を指摘された・・・

自分は
何十回、何百回、
人によっては
何千回と歩いている道なのに、

あれ? 

こんな看板、あったっけ?

こんな店、あったっけ?


それを見つけた友人は
特別な能力を
持っているのでしょうか。


違いますよね。


あなたとは“違う意識”を
持って道を歩いているから、

あなたとは“違うモノやコト(事象)”を
発見できるのです。


逆のことも
あるでしょう。


あなたが友人に招待され、
最寄駅から友人宅へ案内されるとき、
クルマでも徒歩でもよろしいが、
その道なりに、

“あ、こんな店があるんですね”

“お、柿の木がありますね、実がなるのが楽しみだ・・・”


あなたの“発見”
に対して、友人は
どんなふうに答えるでしょうか。


“そうでしょう、良い店ですよ”

“秋になれば、お裾分けしていただけるんです”

または

“お、本当だ、気がつかなかった”

“あ、これは柿の木ですか・・・知らなかった”

結構多いと思います。


“発見”の種というのは、
案外、
身の回りにあるもの
かもしれませんよ。


別段、
遠方に出かけなくても。


あなたにとっては遠方でも、
そこに住む人には
“日常”ですから。



しかし、
日常を
根底から覆してくれる
場所があります。


それは・・・

東京ディズニーランド(TDL)です。


すでに
経済学やマナー指導の点でも
多方面で取り上げられています。


ゴミ掃除一つにしても、
俳優のような仕草で行います。


自分の担当の売店に
お客の望む商品が無くても、
「どこそこの売店においてあります」
と適確に返事してくれます。


商品を熟知しているのです。


ブティックで
売上一番の人の特徴は、
店の商品を
熟知していることです。


陳列棚、サイズ、在庫の有無、組合せ・・・


一回の買い物で
何百万円も使う人もいます。


顧客に
絶対にやってはいけないのは、
次のような場合でしょう。


「この服いいな」と思って、
店員に自分のサイズを告げました。


「在庫見てきます」と言われ、
さんざん待たされた挙句に

「すみません、サイズが無くて」
と言われた経験はありませんか。


しかも
「このサイズはよく出るんですよね」
とか言われたら・・・


私ならその店には二度と行きません。


そして、そのような店は、
なぜ自分の店の売上が
伸びないのかが理解できません。



TDLに是非行ってみてください。


案内看板ひとつにも
面白い発見があるでしょう。


これは実際に実地研修で
Y先生が行っているものです。


“見立て”の世界に通じます。


TDLを、
巨大な“神社”に
見立てられることも
できるでしょう。


あなたがくぐった正門は
鳥居です。


そして参道では
巫女さんや精霊が
あなたを祝福しています。


ネズミやアヒルの姿をしています。


そして本殿は・・・


行かれた方なら
お分かりですよね。


TDLは、
創業者の夢や、
スタッフの改善提案などで、
“楽しさ”を考え抜いて
具現化された施設です。


究極の“見立て”の世界です。



TDLに行けないとしても、
あなたの日常の視点を変える、

つまり行動を変えるだけでも、
“思考”や“感情”を変えることは
充分可能です。


アドバイスとして、
バス通勤なら
ひとつ手前の停留所で降りてみたり、
いつもとは違う道を歩いてみなさい、
と聞かれたことがあると思います。


それを行ってみてください。


そして、しばらく実行した後、
この言葉を思い出してください。


ひとつ手前の停留所からの道も、
いつもとは違う道も、
“特別”なものではないのです。


そこに住んでいる人にとっては日常です。


そこに住んでいる人々には、
逆に、
あなたが住んでいるところが
“特別”に見えるでしょう。


ですから
“珍しいもの”“目新しいもの”を
ずっと追いかけていっても、
切りがありません。


それは
終わり無き放浪の旅に
出ることになり、
消耗するだけです。


ひとつ手前の停留所も、
違う道歩きも
“ほどほど”
にしてください。


それよりも
あなたの日常で“違う視点”を
見つける努力をしてください。



あなたが道を歩いている時、
月極駐車場に
こんな看板を見つけました。


「 “空”あります 」


なんでしょうか?


駐車場の“空”ですから、

「 このスペースが空いてますよ 」

との案内ですよね。


でも、
ワンちゃんなら
どう受け止めるでしょうか。


ワンちゃんが字を読めるか!
というツッコミはご容赦(笑)ください。


ワンちゃんは
あなたよりずっと
低い視点で生活しています。


ワンちゃんが
この“空”看板を“見上げた”
視線の先には、文字通り
清々しい“空(そら)”がありました・・・



近くに
屋上に昇れるビルがあれば
昇ってみてはいかがですか?


手元の地図で見れば、
あなたの家と会社の間は、
何“センチ”離れていますか?


その中で、我々は、
日々
喜怒哀楽を
表現しているのです。



人間は
社会の中で
生きる動物です。


社会は
人間の集まりであり、
そこは
人間同士が
触れ合いながら生きる場です。


私は学生時代バックパッカーでした。


外国をふらふらしていました。


当時はバブル景気でした。


航空券などが
信じられない安価だったのです。


アルバイトをすれば
すぐに買えました。


アジアやヨーロッパを
ふらふらしながら、
私は“特別なこと”をしている
と思っていました。


普通の人が
体験できないことをしているんだ!


でも、やっと最近になって、
こういうことに気づきました。


私にとっては
“特別な”体験であったが、
そこで出会った人々にとっては、
すべて“日常”だ・・・


私は深夜バスが好きです。


ガタガタ揺れる車内。


暗闇の中で時折
遠くに見える人家の灯り。


一体何処に行くのだろうか。


ひとりロマンティックな気分に
浸っていました。


しかし、ハッと思いました。


バスはバス会社が運行しています。


運転手も社員です。


仕事です。


それを家族を養っています。


隣に座るお客も、
行商の人で一杯です。


深夜バスは、
彼らにとっては
“日常”なんです。


それに気づくのが
ちょっと遅かったのですが、
それ以来、
紀行物を読む冊数は
減りました。


もちろん、
異文化比較の視点で、
これからの日本に
役立つような気づきが
指摘されているものなら
良いのですが。


例えば、
最近なら、
国民の幸せを数値化した
ブータン王国の取組みは
素晴らしいですね。


でも、
“自分探しをしていて、
 ここは自分が来るべきところだった”
的なものはちょっと・・・ですね。


それは“逃避”に他なりません。


自分に“無いもの”を捜すことを
“目的”に行動している時、


人は思考や感情が乱れ、
自己肯定感は向上しません。


“足るを知る”

老子の言葉は、
深いと思います。


しかし、
私は意味がわかりません。


いろんなふうに
解釈できます。


この言葉を
私はずっと
気になっていて、
捉える意味が
ころころ変わります(笑)


私は
今までは
こんなふうに考えていました。


戦争時代などを考えれば、
今の日本は平和だ。


食べ物も十分あるし、
自分がいかに
満ち足りた状態にあるかを
知りなさい・・・


でも、
これって、
素直に受け入れられるでしょうか。


自分より“不幸”な人と
比べて幸せとか、
それは“足りている”ことに
なりますかね?



最近は
このように考えています。


でも、
明日には
変わっているかもしれません(笑)


あなたにとって
“足りている”状態を
捜し求めなさい。


それまでは
がむしゃらに
動き(働き)なさい。


ですから、
外国へ行って
“目新しいもの”を
追いまわすことが

本当にあなたを
“足る”状態に
することなのか?


それを行ってみた上で、
よーく“考え”なさい・・・


足元を見て、
人生を歩む中で、
まだ知らないこと、
見ていないことを、
どんどん
吸収すべきではないか・・・?


例えば、
本当に外国留学をする人が
学ぶべきことは、
お世話になる国のことよりも、
日本文化だといいます。


万葉集、俳句、民俗・・・


なぜ、今、
ジャパニーズクールといって
日本製品が受けているのか?


アニメや漫画を生み出し、
文化となっている背景は何なのか?


自国の文化を理解せずして、
他国の文化を理解できるわけがありません。


なぜならば、
比較するための軸が無いまま
新しいものを見ても、
正確に判断できないからです。


直感で
“わかった”
ようなことを羅列しても、
一貫性が無いため、
脳は“不安定”になります。


そして、
脳はそれを“嫌い”ます。


感情が乱れ始めます。


思考が乱れ始めます。


行動が乱れ始めます。



あなたが今そこに“いる”ことは、
何らかの意味があります。


都会に住んでいるなら、
めまぐるしい視覚情報で、
自分の“見立て”感覚を
鍛えることができるでしょうし、


田舎に住んでいるなら、
移り行く自然を肌で感じることで、
嗅覚、触覚、聴覚、味覚を
鍛えることができるでしょう。


ちょっと寄り道しますが、
漫画のキャラクターを見れば、
作者の志向がなんとなく
わかるときがあります。


最近、多いのは、
鼻が小さいなぁということです。


あまり
嗅覚は使っていないのかも
知れませんね。


顔のパーツで
大きく描かれるところは、
その感覚への
依存が強いということでしょう。


テレビで見ましたが、
戦前の少女漫画の頂点に
「少女の友」という雑誌がありました。


そこに登場する
竹久夢二氏や中原淳一氏の
描く少女像は
眼を大きく描かれました。


その理由として、
戦前の家父長制度が
挙げられました。


男の子が大事にされるのに対し、
女性は「良き妻=従う者」
になる教育をされました。


黙って付き従う。


つまり、
口は小さく描かれなければ
ならないのです。


しかし、
それに対して、
眼で意思表示する
意識が強化されたのです。


眼は口ほどにものを言う、
ようになったのです。


人間は
目的や方向性を持って
生きる動物です。


口がダメなら眼で、
というのが
脳の回答だったと思います。


脳は
“あなたが本当にしたいこと”
に導いていくのです。


続きます~


★ 今日の一冊 ★

タテ社会の人間関係

中根千枝著

ある時代にベストセラーになった書籍は、
時代を置いて読み返すと、
違った魅力を感じます。

本書の主張が発表されて
早40年にもなります。

タテ社会という言葉は
すっかり浸透しました。

しかし、著者が論じた、
「論理より感情が優先し、
 それが重要な社会的機能を持っている」
ことが、日本人の特性が国際性が無い原因とする、
と“理解”してから、我々は進歩したでしょうか。

善悪よりは、好き嫌い。

これが
より一層強
まっていないでしょうか。

世界から見れば、
日本がいかに“特殊”なのでしょうか。

グローバル社会の
入り口にも立っていません。

だからこそ
チャンスと思います。

感情のコントロール、
これがキーです。

タテ社会の人間関係―単一社会の理論 (講談社現代新書 105)

タテ社会の人間関係―単一社会の理論 (講談社現代新書 105)

  • 作者: 中根 千枝
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1967/02/16
  • メディア: 新書



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