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◆今日のあっくん(第39話) 価値観に囚われないって、どういうこと? [育児 子育て]




私が身を置く人材育成の世界だけに限らず、
新規事業の立ち上げなどでも頻繁に使われるこの言葉。

既存の価値観にとらわれない。

とらわれるは、漢字では“囚”われるです。
象形文字って、すごいですね。
本当に人が閉じ込められている図です。

さて、既存の価値観に囚われない、というのは一体どういうことなのでしょうか。

新鮮な発想、斬新な発想、革新的な発想、大概、そのようなものを意図していることはわかります。

ただ、考えてみれば、我々はこの世に生を受けて、様々に価値観を蓄積することで生き延びてきました。

それは、マズローの成長欲求の階層説に従っても明らかです。
まずは、生理的欲求ではどんなことをすれば、生理的欲求が満たされて、そして、安心・安全の段階では、どのようなことをすれば、安心・安全なところに身を置けるのか?という価値観を学びます。

それには生まれた環境、つまり気候風土、人間関係、いろいろな要素が複雑に影響します。
寒さをしのぐには服を着なければならないし、飢えをしのぐには食べ物が必要です。
安心・安全を得るためには、まずは保護してくれる人間が必要です。

しかし、その後、付加価値が生じます。
寒さをしのぐだけなら、どんな着物でも良いわけですが、実際は、好き嫌いも相まって、どんどん特定の価値観に縛られていきます。
この状況では、この服を着るべきだ、とかですね。
食べ物もそうですね。
飢えをしのぐだけなら何でも良いはずですが、これもだんだん特定の価値観に縛られていきます。
この食材はこう調理しましょう、この素材にはこの調味料や付け合せ、などです。


あっくんは、まだ価値観をどんどん吸収している最中です。

例えば、ラーメン。

私は、ラーメンは熱々が旨いと思っています。
熱いスープや麺をフーフーしながら食べるのが美味しいと思っています。

ところが、あっくんにはそれは理解できません。
また、実際に、熱々のラーメンをフーフーしながら食べることも出来ません。

もちろん、見よう見まねでフーフーする仕草をしますが、
それは麺やスープを冷ますことが目的ではなく、自分の周りで食べている人の真似をしているだけです。

あっくんは、自分の舌に優しい温度で、ラーメンを食べたいのです。

わざわざ熱いのを“我慢”して、しかもそれが“美味しい”とは夢にも思いません。

ですから、ラーメンを食べるときは、子供用の皿に少しずつ取り分けて、氷を数個入れて溶かしながら食べます。
だからといって、あっくんは本当のラーメンを食べていないと言えるでしょうか。

昔、父が飲んでいた麦酒をいたずらで飲んだとき「なんて苦い飲み物か」と思いました。
コーヒーも大きくなってからしばらく飲めませんでした。

しかし、今ではじゃんじゃん飲んでいます。
しかも、銘柄にこだわったりして。
それって、本当に麦酒やコーヒーを味わっていると言えるのでしょうか。

心理学の解説でよくあるのは、人の欲求は、その人が本当に手に入れたい価値観を知る手掛かりになるというものです。
わかりやすい例では、高級車や高級服を欲しがるのは、それに付随する権威や風格を求めているのだ、というような解釈です。

しかし、それを冷笑するわけにはいきません。
ブランドなんていうものは、まさにその権化ですし、社会が成り立つ重要要素の一つです。
制服なども同じで、警察官や医師の方々が私服では仕事にならないでしょう。

“価値観に囚われない”というのは、たった9文字ですが、実際にはとても困難なことです。

本当に囚われを解くには、全く自分と価値観の違う人間と同じ環境で過ごすのが一番です。
外国へ行くのも良し、違う世代の人と語るのも良し、いずれにしても自分一人では価値観の囚われから解放するのは難しいでしょう。

やはり、黒船が一番効果的です。
私は息子と過ごすことで、日々脳みそを攻撃されとります(笑)

神戸市の隣に明石市があります。東経135度という日本標準子午線の通る町です。
天文科学館は遠足で、須磨の水族館と同じくらいに楽しみな施設でした。
荘厳なカール・ツァイス製のプラネタリウムの姿が私の光学好きに拍車をかけたことは言うまでもありません。

そして、明石といえば、明石焼き。
これはソースや青海苔をかけるたこ焼きとは一線を画しており、だしにつけて食べます。
地元では玉子焼きと呼ばれます。
明石焼きとは対外的な名称ですが、地元店の暖簾や看板の多くは明石焼きと記されています。

関西の粉もん文化の一翼を担う明石焼きを食べにあっくんとやって来ました~

明石焼き_きむらやさん2010_0223_141341-P2230425.jpg

お店は、老舗有名店の“きむらや”さんです。

ここで、我々は価値観について再び考えます。

明石焼きは、銅の型板で焼いた熱々の玉を、ダシにつけて食べます。
この、ダシに付けて食べるのが、たこ焼きとの決定的な違いですが、利点もあって、玉を冷ます効果もあるようです。

あっくん明石焼きアッチッチ!2010_0223_142100-P2230427.jpg

しかし、あっくんには、これでも熱くて食べられません。
ダシにお冷の氷を少しずつ入れて、冷たくし、その中に玉を入れます。
つまり、アツアツをハフハフ、ホフホフという感覚はあっくんにはありません。

そして、また、あっくんはまだタコが食べられません。
くにゅくにゅした食感を楽しむ、これも後付けの価値観です。
「タコはお父さんが食べて~」と除けてしまいます。

あっくん明石焼き食べる!2010_0223_142131-P2230429.jpg

さて、アツアツでもなく、肝心のタコを除けてしまいました。

では、あっくんは明石焼きを食べたことにならないと言えるのでしょうか。

それは、あなたがご判断ください。

あっくん明石焼き(きむらやさん)2010_0223_143232-P2230435.jpg

ではまた~


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えがみ

物事の楽しみ方は人それぞれですよね。
幼少時代とでは好みが変わると言いますから、唐突に
「たこさんはこの小皿に出しておきなさい」
「パパ、だめぇ〜。僕が食べるの〜」
と言い出すかもしれませんね。

by えがみ (2010-02-27 01:21) 

グッドバランス

>えがみ様
ありがとうございます。
本当にそうですね。
自分自身も、この歳になっても好みは変わり続けます。
社会人駆け出しのころは、呑み屋に行ったら、ポテトフライや唐揚げを率先して頼んでいましたが(笑)
最近ではきんぴらごぼうとかですね。
by グッドバランス (2010-02-27 16:46) 

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